写真ギャラリー(今は昔 思い出のスキー写真)

とてもお世話になった方  
木健治先生・・・今私がスキーに取り組むことができているのは多くの方のおかげですが、一人だけあげるとすれば木先生のおかげです。木先生に指導してもらったので今の私があるということは間違いない。感謝しています。この頃はまだ、アナログ写真時代。オートフォーカスレンズもなく、置きピンという技法で写していました。36枚のフイルム中ピントが合っている写真はほんの数枚。奇跡の1枚です。当時のスキー学校のパンフレットにも使われました。私の家にもこの写真が飾られています。(2018/04/07アップ)
 若武者
清野済さん(Watti)・・・今からおよそ30年前、昭和天皇の大喪の礼が行われた日。BGMのないスキー場で、スキー学校スタッフのジャンプの写真を撮らせていただいた。滑りの名手が苦戦する中、Wattiは誰よりも高く、遠くへ飛んで皆を驚かせた。その瞬間「若武者」という言葉が浮かんだ。仕上がった写真を見て、感じるものがあり、毎日新聞社の写真コンクールに応募したところ入賞することができた。私にとっても思い出深い1枚。(2018/04/21アップ)

 
 若武者2
清野済さん(Watti)・・・レッスン終了後の誰もいない第二を吹っ飛ばしていくWattiを写させてもらった。西日の中で帽子もかぶらず、サングラスが似合うWattiがひときわ輝いて見えた。1993年3月撮影
(2018/06/09アップ)

 デモンストレーター
奈良尚聡さん・・・複数のスキーヤーを効率よく撮影するために、ターンの種類だけを指定して同じ斜面を滑ってもらうことがある。こうするとスキーヤーの技能が写真にはっきりと現れる。この状況でのここまで膝を使ったスキー操作は他のスキーヤーには見られなかった。その頃、多くの指導者が雪に近いところから関節を動かすように指導していたが、尚聡さん(当時30代前半)のスキーは当時のデモンストレーターに求められたスキー教程のまさに具現だと私は感じた。1993年3月撮影
(2018/06/09アップ)

 アルプスでのリフト初乗車

オーストリアでのスキー・・・子供の頃、NHKのテレビ番組で「アルプスのスキーボーイ」という番組が放送されていて、毎回楽しみに見ていた。その頃から「アルプス」でスキーに乗ってみたいなあと漠然と感じていたが、この「ひげさんのページ」への投稿がきっかけでおつきあいが始まった方々と思いがけなく二度のオーストリアへのスキー旅行が実現した。写真はインスブルック近郊のパッチャーコーフェルというスキー場で、冬季オリンピックの会場として二度使われている。ロープウェイから乗り継いだ山頂へのリフトは一人乗りで、うれしこわしのアルプス初リフト乗車だった。私は、この旅行はひげさんからのプレゼントと思い込んでいる。2011年2月撮影
(2018/07/25アップ)

 オーストリアのスキー学校

 オーストリアスキーにひかれたのは木健治先生の話を聞く機会が多かったことの影響も大きかったと思う。オーストリアのスキー教師に是非スキーを習って指導法を参考にしたいと考え、アクサマーリツームのスキー場で半日のプライベートレッスンを受講した。教えてくれたのはウォルフガングという名前のチロル州立検定教師。レッスンの中心は乗る位置のトレーニングで、ノーストックや上体の動きを規制してのエクセサイズが多かった。マウスオンで受付のきれいなお姉さん 他。2011年2月撮影
(2018/07/26アップ)

 アルプスでの出会い

 スキー旅行にカメラ持参は欠かせない。キュータイのゲレンデ脇のテラスでくつろぐベルギー人 マウスオンでリフトに乗り合わせたドイツ人医師と看護婦。2011年2月撮影
(2018/07/28アップ)

 ア−ルベルグ

 スキー旅行にカメラ持参は欠かせない、と上で書いたけれども、あまりにスケールの大きな風景を前にして、どう写せばいいのかわからない時があった。アールベルグのバルーガ展望台では、360度こんな景色が連続する。蟻が動いていると思ったら、スキーヤーだったのには驚いた。マウスオンで別の方角 2014年1月撮影
(2018/07/31アップ)

 オーストリアスキーアカデミー

 私の場合、外国のスキー場で「地元のスキー学校がどんなレッスンをしているのか」という点が結構気になる。サンクリストフには、知る人ぞ知る旧ブンデス「オーストリア国立スキー学校」現在は半官半民で運営する「オーストリアスキーアカデミー」がある。世界一有名なスキー学校といってもいいと思う。写真はサンクリストフに滑り降りるスキー教師。私が行った当時のアカデミースキー教師のユニフォームは赤白青、黒だった。マウスオンで校舎 2014年1月撮影
(2018/08/02アップ)

 パトリック

 世界一有名なスキー学校は宿泊型のレッスンのみを提供しており、半日のみのプライベートを受け付けてはいなかったのだが、そこは受付のお姉さんを一所懸命口説いて(!)やっと成功することができた。講師は29歳のパトリック。正真正銘のオーストリア国家検定スキー教師。レッスンの中心はやはり「板に乗る位置」に関するエクセサイズ(運動)で、前回アクサマーでのレッスンとかなり似ていたのが驚きだった。さっそく百沢でのレッスンに「ぱくらせて」もらっています。マウスオンで受付のお姉さん。オーストリアの話これで終わりにします。2014年1月撮影
(2018/08/03アップ)

 スキージャーナル

 今年とても残念だったスキーネタが、1月に発表されたスキージャーナルの休刊だった。51年続いた雑誌が休刊に追い込まれる昨今の出版事情、スキー界を取り巻く状況の劇的好転を切に願っている。白馬村の「山とスキーの資料館」には、スキー関係の雑誌や資料が多数保存されている。画像はスキージャーナル創刊号の表紙と裏表紙。マウスオンで発刊に寄せたホピヒラー教授の寄稿文。教授の文章は今こそ説得力を持つ、と思う。2015年3月撮影
(2018/08/09アップ)

 岩木山スキー学校

 岩木山スキー学校は来シーズン開校から44年目のシーズンを迎えるが、当時生徒として通っていた私の手元には、第4期目のスキー学校パンフレットがある。もしこれより前のパンフレットをお持ちの方がいましたら、是非私に連絡をいただけませんか。歴代の岩木スキークラブ会長にも聞いてみたが、誰もお持ちではなかった。私も来年還暦。過去の掘り出しに力が入る年齢になった。
 青森県では現大鰐スキーアカデミーに続いて2番目の歴史を持つ岩木山スキー学校。マウスオンでスタッフ紹介他。 私にとっては懐かしい先生方の名前が並ぶ。
(2018/08/12アップ)

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